水道橋博士の実家は岡山県倉敷市の紙問屋で、300坪の豪邸に育ちました。
お笑いコンビ「浅草キッド」の一人として活躍し、のちに参議院議員も務めた水道橋博士さん。
歯に衣着せぬ発言や、鋭い社会批評の背景には、どんな家庭環境があったのでしょうか。
実家は倉敷の紙問屋。
敷地300坪の豪邸に、蔵書に囲まれた父、厳格な家庭教育、そして挫折を味わった思春期──。
この記事では、水道橋博士の少年期の環境がいかに現在の言論活動につながったのかを、丁寧に掘り下げます。
水道橋博士の実家はどこ?倉敷の紙問屋という「恵まれた環境」
水道橋博士さんの実家は、岡山県倉敷市。
家業は紙問屋「倉敷紙業」、のちに小売店「紙のカミヤ」を営んでいました。
敷地は約300坪。
庭には鯉が泳ぐ池がある、いわば“地方の名家”ともいえる家。
母方の祖父は中国銀行の副頭取。
経済的にも社会的にも、申し分のない家庭環境です。
けれど私は思うのです。
人は「恵まれている」だけでは語れない。
外から見れば順風満帆でも、心の内側はまったく別の景色かもしれない。
博士の原点は、豪邸の広さよりも、その中で感じた「微妙な居心地」にあったのではないでしょうか。
水道橋博士の実家の家族|蔵書に囲まれた静かな父
家族は両親と2歳年上の兄。
父親は社交的とは言えず、恥ずかしがり屋で、本を読むことが何よりの楽しみだったそうです。
家には大量の蔵書があり、文学が身近にある環境でした。
私はここに、とても大きな意味を感じます。
子どもは、親の背中を見て育つ。
にぎやかな会話ではなく、静かに本を読む父の姿が、博士の中に「言葉への信頼」を植え付けたのではないでしょうか。
一方で、
・父抜きで家族旅行に行った
・小遣いはほとんどもらえなかった
・おもちゃも買ってもらえなかった
というエピソードもあります。
豪邸に住みながら、どこか“我慢”がある家庭。
このアンバランスさが、のちの博士の「社会を斜めから見る視点」を育てたように私は感じるのです。
水道橋博士の実家での幼少期と中学時代|優等生からの転落
小学校時代の完璧さ
小学校では成績オール5。
学級委員も務める優等生。
野球盤をペナントレース形式で遊び、全試合のスコアをノートに記録する──。
ここに、私はすでに“評論家の芽”を見たように感じました。
遊びですら、データ化して残す少年。
これはもう、普通ではありません。
中学受験と挫折
地元有数の超進学校へ進学。
周囲は将来官僚や銀行員になるような生徒ばかり。
そこで初めて、勉強についていけない感覚を味わいます。
私は同世代として思いました。
優等生だった子が、初めて「できない自分」に出会うとき、その衝撃はとても大きい。
詰め襟のホックを外しただけで“不良”。
そんな窮屈な空気の中で、博士の中に小さな反骨心が芽生えていったのではないでしょうか。
プロレスに夢中になり、『空手バカ一代』に影響を受けて空手を始める。
エリートの道から、少しずつ横道へ。
でも私は、その横道こそが人生の本筋になることもあると思うのです。
水道橋博士の高校時代|ひきこもりと文学の救い
高校1年で体を壊し、留年。
その後は不登校状態。
学校へ行こうとすると腹痛になる。
手術を受け、祈祷師のお祓いまで受けた。
これはもう、心と体の悲鳴だったのでしょう。
私は孫を持つ身として、胸が痛くなります。
「どうしてうちの子が」と親も思ったはずです。
けれど博士は、本と映画に逃げなかった。
むしろ、本と映画の中へ“入り込んだ”。
太宰治、ドストエフスキー。
竹中労に憧れてルポライターを志す。
映画『時計じかけのオレンジ』を見るためだけに倉敷から東京へ行く行動力。
雑誌『キネマ旬報』に送った映画評が掲載される。
私はここで思いました。
孤独は、才能の温床になることがある。
友達がいなかったからこそ、ラジオ『ビートたけしのオールナイトニッポン』を何度も録音し、ノートに書き写すほど聞き込んだ。
この“書き写す”という行為。
これが後の芸人・評論家としての基礎訓練だったのではないでしょうか。
水道橋博士、実家を出て|言葉を武器にする人生へ
たけしが明治大学出身だと知り、明治大学へ進学。
しかし4日で自主退学。
普通なら「失敗」です。
けれど博士の人生は、
“まっすぐな成功”ではなく、“回り道の連続”だった。
豪邸の少年。
優等生。
挫折。
ひきこもり。
文学青年。
この全部が重なって、
後の「浅草キッド」の水道橋博士になっていく。
そして政治の世界へ。
私は思いました。
実家とは、単なる住所ではない。
その家の空気、父の蔵書、庭の池、もらえなかった小遣い──
それら全部が、その人の“言葉の質”を決める。
水道橋博士さんの実家を知ることは、
彼の鋭さの源泉を知ること。
豪邸で育ったから強くなったのではない。
豪邸の中で感じた違和感が、彼を観察者にした。
私はそう感じました。

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